日本語は母国語でありますが、その成り立ちを少しだけ知ると「なるほど!!」っと思うことがありました。もともと我々日本の祖先はヤマト語というものを話していたそうです。ヤマト言葉自体現在正しい解釈の本は皆無に近いらしく、託宣や神界の方々等が説明をしてくれているものが本来の言葉のもつ意味や力があるそうです。世の中に出ているこれらに関する大半の本は出版した方の解釈であるということ。どうりでそそられないはずだ!

そしてChinaから漢字が伝わってきて現在の我々が使っている日本語になっているそうです。そしてこのChinaから伝わってきた漢字というものも、元々は神界からChinaへ言語として伝わったらしいのですが、本来の解釈と違った判断をしてしまい読み方が複雑になっていったそうです。もし、ここで正しい解釈をし言葉を使っていたら今のChina自体生活環境も人間的本質も変わってきたのかもしれませんね。

それだけ言葉のもつパワーというのは凄いという事だと個人的に思います。以前、ブログにも書きましたが私自身あまり上手に表現できないので言語学を学ばれている方などからは私の日本語は違和感ある的な指摘をよく受けますが、こういう成り立ちを考えるとあまりそこに拘るのではなく基本原則として相手に失礼になる表現はすべきではないという事を念頭に表現できればいいのではないかと思っています。

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これは逆ギレ、開き直りとかではなく、正しい言葉使いと言っても、何が正しくて何が正しくないのかという判断は基本的なルールはあるもののガチガチにするのも言葉が変化している昨今、いつの時代になっても表現する方法は変わる。チルってると言われても???っと思っていたら今どきの若者がよく使っているそうで「まったりする、ゆっくり過ごす」という意味らしい

元々は英語のchill outから派生され出来た言葉とのこと。こうして考えると言葉は常に変化し今使われている。それは今だけではなく過去を紐解くとやはりヤマト語と漢字がミックスされ使われているし変化というのは常に行われている。そして一番参考になるのが古事記らしい…。うーん、漢字が読めないw 本居宣長による古事記に仮名交り分に書き下ろしているのが幸田本(戦前に発売されたもの)がオススメらしいのですが…。

これがグッとハードルがあがる。まず、仮名ふりしていても年代が古いものなので、そもそも漢字が古くて読みづらい…。古事記は様々な方が解釈をしているそうですが日本語というよりヤマト語に精通していないときっと本来の意図するものが現れないのではないだろうかと思ったりして…。そのヤマト語もまた本来の解釈を紐解くのが難しい。

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戦前教育では当たり前のように古事記など学べたとしたら現代を生きる我々からしたら羨ましい限りだ。戦後から教育方針がかわり神道系のものは凡て排除されたとの事でしたので失われていくものは大きいような気がする。細かいことをチェックするのではなく、こうしたものから意味を紐解いてみると何かちょっとものの見方がかわるのかもしれません。

正直まだまだ混乱することのほうが多いのですが、じっくり自分なりに解釈していけたらと思っています。ちなみに神道について秘技的な本が出版されているものは大半が本来の姿から離れてしまった体系であるとのこと。得てして難解に書いてあったり、高級霊であることを全面に謳っているとても怪しい本のほうが多いそうです。勉強を進めていくと、心霊の父と称された方も同じくこれらの部類だったのを知って愕然としてしまった…。

以前本を買って読んだもののイミフで理解できないものが多く理解力が足りていないものなのかと判断してしまいましたが、どうも宗教活動もバッチリしていたとのことで更にショックを受ける。但し、これらの本は凡て誤りや騙そうとした内容かというとそうでもないらしく、その時のその人の事実が反映され、中には正しい解釈もあるそうです。だから客観的に物事を判断する能力に長けていないと簡単に騙されてしまうそうです。言葉巧みに真実ではないものがやってくるだけではなく常にジャッジできる心構えが必要ですね〜

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今まで読んできた本はそんなに多くはないものの、わかったことは神界からきた人の言葉はとてもシンプル。そうじゃない人はあれこれと説明したがり話が長い。結果的に混乱して誤魔化されてしまうことのほうが多いのかもしれませんね。ブログなどは自分自身のアウトプットの練習になると思っているので正直に感じた事を書いたりすると長くなってしまう事もありますが、これらのものはそうじゃない。今現在の時間軸に焦点をあわせず過去になんちゃらの系統で秘技受け継がれているというのは疑ってかかっていいそうらしい。

そして物凄くリアルに体験しているのが本に記載してある内容。霊界のしくみというのはとても複雑なので人間では理解できないとされており、霊能力にだけ魅了されてしまって違う世界に繋がってしまう人が多いという内容を今ちょうど読んでいます。言葉巧み近寄ってはそれらしい言葉でいいくるめ、尚且つ本来の言葉に近い言葉を表現させてします。例えば「ニニギノミコト」を「ニニゲノミコト」と言ってみたり微妙に違う風に言ってそれらしき事を語る(実際には高級霊ほど名前は名乗らないそうです。名乗りたがるのは構ってちゃんの可能性が多いということが多い)

人間より当然それらの者たちは霊能力が高いので、ある程度の情報は手にとることができるので誤った道に進んでしまう人が多い(霊能力に長けていると勘違いしてしまたtり、自分のことを神様だと言ったりと教祖様と呼べなど…)最初の志は正しくても途中で魔の手が介入してきたり、最初からこれらのものに取り憑かれ魅了されてしまう人がいるという事がようやくイメージがつきました。高級霊は名乗ることもしないですし、いつでも謙虚であり無償の愛を提供している。

託宣の元で勉強された方曰く、「お気の毒に」とのこと。確かに今この瞬間勉強しているのは短い、誤った道に入ってしまったり宗教に陥ったりしてしまうとやはり帰還する場所もそれらの世界に繋がってしまうとのことなので、健全に学ぶという意味では勉強する場所はとても大切であり、教祖様的な感じの所はNGなのでしょう。っとちょうど昨日ここの場所読み終わりました。日本語の変化とともに正しい言葉はしっかりと認識し判断できる能力は最低限みにつけていたいものだ。

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