須佐之男命がこの世界に出てきた話を知るのは古事記ですが、この限られた文字数で全てを理解するのは至難の業だ。というのも一度読んだだけでは、荒ぶる神のイメージが強すぎたり、どこかワガママな側面があったり懐疑過ぎてしまったりとインパクトが強い。後半は、改善していき助けることをしていたりしますが、現在はこの世界を良くするために働いているそうです。神様で最初で最後らしいのですが私情を発令したらしく、荒れっぷりは古事記を読むと出て来る通りです。整備された環境を汚したり、裏切ったり、追放されたり…っとやり放題にも見えます。

それでもこの記が残っているということは我々人間にとって必要な教訓だからなのでしょう。100%聖人君子な人はいなく、それに近づけるために己の欲望を排除して純粋に奉仕できる体質を育てていくのでしょうか。神様もまた試行錯誤しているわけですし、偉そうにふんぞり返って物事を傍観しているわけでもない。記に記載されていることを読み解くということは正直難しいけれれども少しずつ理解度を高めていくと物事の見方が変わってくる。無駄なものは自然と排除され、自分自身の概念も変わってくる。そして出会う人も変わってくるような気がします。

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自分の中にあるネガティブな発想というのもうまくコントロールしてけば改善されるそうです。人間もまた陰陽の影響を受けておりますので、このネガティブなものの一つとして欲望があります。物欲、食欲、性欲であったりとあらゆる欲にコントロールされてしまう。だからと言って、須佐之男命の影響かというとそうでもないそうですよ、神仙界の方曰く…。勘違いしている人は神様のせいにしてしまうそうですが、基本ベースとなっている自分の中にあるものなので個であること。そしてそれを乗り越えると見える景色が違ってくるそうです。

プラスとマイナスと中庸が絶妙なバランスになるとひょっとしたら何かがより見いだせるのかなぁ…っと思ったりして…。で、私情を発令した件ですが書いていて思ったことが高天原からこの日本のどこかの土地に降りてきた神々もまた荒ぶって好き勝手にしていたような気がするのですが、これはこれで意味が違うのでしょうか…。うーん、ワタクシのアタマは既にパンパンですw

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