神道を勉強していくと、世間で言われているスピリチャアルというのは日本においては宮地水位がそれらについて実証され、その備忘録を後世の方々が良い意味でも悪い意味でも解釈をしてこの世の中に普及されていったということがわかりました。前者は狭き道ではありますが正統なので途切れることは決してなく、学んだ事によって帰還された後の勉強も捗るそうです。後者の方は、わりと現代でいうと〇〇の生まれ変わりであるとか、宗教関係者が多く、自称〇〇というのも多く、自ら開拓した境地であるというのが明治あたりから多くの出版物に見られるそうです。私もまだまだ知らない事のほうが多く、正統だけを学んでいけばいいのかと思っておりましたがそうではなく、逆もまた意味のある学びにつながることもあるそうです。ほんの少しだけ正しい事が記載されているので、それを見極める力もつくでしょうし、本来の祝詞との齟齬もここで見極める事ができるようになるとおもいます。

一番わかりやすいのは神様の名前なのかもしれません。神様の正式名称は漢字なので正しく読めない、紛らわしい名前で言ってくる輩もいるので、そもそも自らも誤った解釈をしてしまうのでは?っと判断しておりましたが、ある程度学んだら、読むのもいいのかもしれない。とは言え、大金払って買うこともないと個人的には思っているので数少ない正統の道を学ばれていくほうがいい。本を読んでいる限り、とてもサラッとした事が記載されておりますが蓋を開けてみるとそう簡単ではなく、知っていて当たり前ベースで情報発信されると、学びの過程において解釈が随分と違ってくると感じております。で、私が学んでいる本が全てではないのかもしれませんが江戸時代の本居宣長、平田篤胤が研究したことによりそれらの後の方々が、開示していい情報が与えられたら真意を確かめ、世に送り出していっているのかもしれません。幽真界というのは、私が思っている以上に複雑かつ調和が最も取れている場所であり、我々の結果次第で階層も決まる。

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江戸時代から明治初期にかけて仙童寅吉物語、幸安仙界物語などの書物をベースに神道家は研究を重ねて今我々が目にしている書物に少なからず影響を受けているのかもしれません。真意を汲み取るの言うのは簡単ではないのかもしれませんが指を加えて黙ってみていてもその真意はわかることもなく、研究して煮詰まったら沈黙の時があってもいいと思う。この時の沈黙によって大きく舵をとれた方もいらっしゃいますので日々の生活を大切にしながら、努力を惜しみなく行動していけば道は開けるということでしょうか。

偶像崇拝についても記載されておりましたが、人間やはり目に見えるものをっという事を対象にしがちで写真、似顔絵、像などをつい崇拝の対象にしてしまうそうですがこれはどうも全てNGだそうで、例え尊敬している方の写真や似顔絵であっても神様のように禱ってはいけないそうです。逆にそれが足かせをつくることにり、本来帰る場所に帰れなくしてしまったりすることに繋がるそうです。幸い、私の自宅にはその手のものは一切なく無宗教の家に生まれ育って本当によかったと親に感謝しております。中野の駅前に突っ立っている輩の元宗教団体の方が漫画を出され幼い頃からの洗脳に悩まされてきた事が記載されておりました。洗脳は怖いと思いますので、もし誤った教義の元勉強をしているとやはり誤った解釈をしてしまうのかもしれないのですが、根本的にズレていなければ修正はきくらしい…が、私のレベルではこれらについて判断することはできません。

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話戻って、平田篤胤が神道家として切り開いていったからこそ、後世に幽真界というのものがあるということ。肉体死後、魂のゆくえについて研究された成果がいかされているのだと思います。本居宣長が古事記においてサニワという言葉を用いて、その後そのサニワについて平田篤胤が実証していったのでしょう。その後、諸先輩方がサニワ的思考で取り組みながら真実を見抜くのがいかに難しいのか後世の本をみればわかるような気がしてきました。一つの事を長くだらだらと分厚い本にそれらしく記載されているものは、大半失敗作が多い。江戸時代においても現代のFAQと同じようなもので尚且つわかりやすく説明してくれるのは幽真界の取り測らないなのかもしれません。

きっとこの時点でも神界からこれら陰でこの世を支えてくれている方々は多いと思いますが、学んでいるものとして疑問があった場合、どうしても直接聴きたいけれども、もっと聴く前にとことん調べなさいという事なのかもしれません。調べやすい、聞きやすい時代というのもありますので、ここは難しいところでもある。けど、お願いはできるので調べてどうしてもわからなかったら答えを導きだしてくれたり、混乱するであろうと思われるものに対しても同様に答えを導きだしてくれる場合もあります。っとこれはあくまでも個人的な意見ですのですべての人が対象となるかどうかは保証できません。

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幽真界」への2件のフィードバック

  1. この世の中でさえ、なんで?と理由が言えないことがあります。例えば日本では、お茶碗を手に持って食べるのが礼儀。でもヨーロッパだと、それはNG。食器をテーブルから離して、手で持つなんて。。と。でもたとえば、フランスだとお茶碗のような器でカフェオレを飲むときは手でもって飲む。でも同じ器でシリアルを食べるときは、絶対手には持たない。この3つの違いみたいに、理由付けはできる。でも、その習慣を知らない人はできない。(特に、フランス人のお固い人だと、ご飯茶碗を手に持ってと言われても、そんなマナー違反はできないと拒否するわけですよ)言われてやってみても、ピンと来ないのはその国で生活していないから。現在のこの世の中でさえ、日本と他国ではかなりの違いがあり、生活して初めて分かることが多い。だから、神界や霊界などはとてつもなく、計り知れないんだと思います。勉強していて、煮詰まったらしばらく放置。これその通りだと思います。特に外国語とか、さっぱりちんぷんかんぷんってのは、詰め込んでもダメ。時にしばらく放置すると良い加減に発酵します。

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    1. 難しいですよね〜知れば知るほど、知りたいことがあるのに頭のなかに入ることはほんの僅かなものなのかもしれませんね。コップに水を入れているように溢れかえってしまうのも意味があるのかもしれませんが、詰め込みすぎると水は溢れっぱなしで新しい器を用意することができないですからね〜!いつもアドバイスありがとうございます(●´ϖ`●)

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