最近出版された「江戸時代の小食主義 水野南北」を読んで思ったことは、200年以上前に実在した南北の教えが現代にも受け継がれているという事。思ったらシンクロ発揮で、ちょうどその事に着いて語ってページを読むことに。感謝とともにお食事は少なめにいただくと自らの道は良い方向へ行く。生きるという事は、食べ物つまり他の生命を頂くことになりますが、どのような食材であれ感謝をし、神様に捧げることも忘れずにっという言葉を聴いてハッとしました。

感謝をしながら食べていたと思ったのですが…改めて本を紐解いてみるとまだまだ本質的な事がわかっていなかったのだろうと猛反省…。はぁっとなで肩がグッと下がるw それでも書いてある事は、シンプルかつ生きることについての指標が書いてある。と言ってもあれこれしなさいという指示系統はない。神儒仏に精通していたらしく、若かりし頃はあまり評判はとくなかった南北は、師匠である僧と出会ってから変わったそうです。

それまできっと様々な生き様を見てきたのでしょう。食事は大切。どのような食材だって元をただせば生命が宿っている。だからその生命を無駄にしてはいけないし、神様に自分の食べる分を捧げるという。改めて作ると食材の無駄になってしまうという。だから自分の食べる分を神様に捧げるという発想がお恥ずかしながらなく…。少なめに残さず食べておりましたが、意味が違った…。フランス人が食事を残すという事を思い出し、あぁ〜これねっと自分の中で整理つくとスッキリする

肉食についても言及されていますが、NGという言葉は出ていない。あとお酒もね。ただ、やはり摂取しすぎたりしているのがよくない。バランスが大切ということ。現代は様々な食材が出回って魅力的ではあるものの、実際に人に与える影響の事を考慮されているか自分の目で見極めることが必要なのでしょう。食材がもったいからといって食べるとカラダに負担がかかってしまう事も忘れてはいけない。わかってはいるものの、ついつい食べてしまうがこれからはこの食材を自分ではなく他の方にお役立てできるよう精進していかなくては…

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江戸時代の小食主義 水野南北」への2件のフィードバック

  1. カミナさんの意図とちょっと違うかもしれませんが、お正月に使う祝箸。両はしが細くなっているのは、片方は自分用、もう片方は神様用で、神人供食らしいです。この祝箸は晴れの日に使うようですが、毎日神様とともに食べたら遺憾のかしら?と思ってしまいます。あ、なれなれしすぎ?ってことですかね。(笑)

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    1. そうなんですね!知らなかったです!!神様からいただいた食材を感謝し食べることであればいいような気がします。現在の盛り付けなどは現代人が考えたと思われますので、まずはお気持ちありきでいいのではないでしょうか。ちょうど、神様が私たちに人間に対して食材を提供していただいている箇所を読んでいるのですが、有難く頂戴することが大事とのことでしたよ!

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