穢について

今読まさせていただいている本の中に「日々の穢れ」について記載しています。神様にお仕えするということは日常を律するという事ですが、この律するとはなんぞやっと思ってあれこれ考えていた時期があります。まさか、ここで答えが見つかるとは思ってもおらず。自分では律していたつもりではいるものの、まだまだ穢れっぱなしである事に気付かされました。あぁ〜💦

何となく、こういう行動はそうじゃないのかなぁっと思っていたら霊界って凄いよね。必要な言霊を届けてくれますので素直に耳を傾けると見いだせる本人が気づきべき何かがでてくると思います。例えば、朝起きてから穢れを祓うために自然に行っていたことも、日本古来の穢れを祓うための作法であったり、祈りもまた土日祝日年末年始問わず決まった時間に行っているのも意味がありました。

それと大掃除の時期もまた年末の忙しい時期ではなくその前に完了するというのも一年の穢れを祓うために必要な事なのだと。腑に落ちつことが多かったです。やはり日本人として日本の霊的学びについて探求していくことには当たり前ではありますが意味がありますね。

それでも日々の穢れというのは日常の所作で付くわけなので正しく生きるという事を常に意識しないといけないですね。例えば、食べ物もそうで作り手側に穢があると、当然受け手も穢れてしまいます。人の作る料理で〇〇さんのは食べられるけど、ほぼそれ以外無理!っと自分の我儘だと思っておりましたが、これもまたここに繋がっていくとは正直思ってもおらず。料理を作る方の思想次第と食材自身の穢れなど様々ですので直感でこの方は大丈夫というのは穢れなき心の持ち主という事になりました。

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余談ですが、とある場所で食事をすることになり、とある方が食材を触り、皆で食べる事になったのですが何となくよろしくない気持ちになってしまった理由もここで繋がりました。私だけではなく他の方も同じような感覚だったので私の我儘ではなかったという事が証明されました。その人の持つエネルギーに愛があればいいのですが、真逆だと口に入れるのも好まないですよね。体が拒否するということは、こういうことなんだねっと改めて実体験した感じです。

穢れというのは自分次第でどうにでもなるものではないので、第三者からいただいてしまう事もあるので見極めないといけない。先の料理もそうですがお断りできな状況でも上手に手を付けないようにしないとその方の穢れプラスアルファ(サイキックアタックとかね)のものも、もれなく受け取ってしまうので要注意です。そもそも、その場所がその人によって穢されているので蝕んでいくように思えますが💦 居るだけでも穢れてしまうという事もありますので、借り物のカラダを穢すわけにはいけません

審神者的思考とは何も霊査する時だけに行うことではありません。日常生活の中で日々自然としている事です。それをより注意深く論理的に中庸に考え、見極めることができるかということです。日々、穢れぬよう今まで以上に気をつけて歩んでいくのがまず基本的な事なのでしょう。古典、霊訓、実体験などからの学びで穢れるからこうなってしまうんだと言うことを教訓にしているものの、もっともっと自分に対して律していくと違ってくるのかもしれません。

よろしくないことを本物のように正説として振る舞う行動は、もっとも神が忌み嫌うことであり、霊媒を通さずとも直感で見極めるようになるのがあるべき姿なのかもしれませんね。